公理主義。

公理からの演繹こそ至高。数学のいろいろをただ書きなぐるためにこのブログは生まれた。ここは、私の覚書である。

族(family)。

僕は大体数学の勉強を進めるときはwikipediaと辞典を参考にしている。
たとえwikipediaでも、数学ならばある程度知識があれば正誤が取れるし、定義はさすがにそう間違えないだろうと踏んでいるからだ。
間違えていても辞典で補えばいい。
確率の勉強をそうやって進めると、測度という言葉にぶち当たる。
まずはこいつを片づけようと思ったんだけれど、どうにも知らない語がいっぱい出てくる。

まずは、完全加法族、その前に族とやらを確認しておこう。

族という語単体は、辞典には出てこなかった。
family of なんちゃらーって形のものなのは分かったからfamilyでも引いてみたけど、うまくいかない。
小辞典と銘打ってるだけあって細かな部分は載ってないのかもしれない。弱った。

wikipediaによると、族とは添字集合\(I\)から集合\(X\)への写像\(A\)を\(X\)の要素の集まりであるとみなしたものとある。
何とも難しい言い回しだが、察するに族とは写像なのだろう。
そして、もっと直感的に解釈するなら、\(X\)の元を並べてIDを振ったもののように見受けられた。
列やn-タプル(n-組)の拡張と書いてあったことからも、どうやらそれでよさそうだ。

僕がこの族という語を見たのは集合族(family of set)という語の中であり、集合族の説明は集合の集合だった。
集合を元とする族とすれば確かにそういうことなのかもしれないが、先ほどのID付加の性質はどこに行ったんだろう。分からん。
思うに、ここら辺は集合の集合を考え始めた流れなのかもしれない。
数字に集合を対応付ける写像を考えた流れと、写像の像を集合ととらえた流れが合わさって、集合への写像が集合の集合になったと。ありえなくはなさそうだ。


仕方ないので族についてもうちょっと考えてみよう。まとめみたいなものである。
族のとらえ方は、上記の流れより2つありそうである。すなわち、

  1. 添字集合から対象の集合への写像
  2. 対象の集合の元を集めたもの

下の言い回しが非常にあいまいで、これでは順序の有無が分からない。
族の定義からすれば順序性はあって然るべきだが、集合族を見るにその順序性は見て取れない。

写像としてみる場合は順序性を見て、元の集まりとしてみる場合は順序性を無視するということだろうか。
つじつまは合うし、合点もいく。が、釈然としない。
とりあえずそういうものとしてとらえ、次に進もう。